<羊の大牧者の祝福>と呼ばれるこの祝福は、その血によって私たちと神との間に新しい永遠の契約を整えてくださった大牧者、大祭司イエスを甦らせてくださった神が、私たちに「すべての良いものを備えてくださる」と言う。見通しを変えざるをえない。最も望みに満ちた見通しを建て直さざるを得ない。復活をもたらしてくださった神の意志が達成されるのである。その神のみこころに適う道を尋ねればよいのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、125頁
2020年4月26日(日)
このヘブライ人への手紙13章20,21節の言葉は「・・・のように」となっていますので、祈りの言葉です。しかしそれはそうなるかならないかわからないけれども、そうなるといいな、といった不確定な願いが書かれているのではありません。礼拝なかで語られる「祝祷」と同じで、祈りの言葉ではあっても、不確定な未来が語られているのではなく、確かな将来が語られているのです。礼拝において私たちが祝祷の言葉によって送り出されるのは、牧師の不確実な願いの言葉によって送り出されているのではなく、神さまの確かな将来に対する約束の言葉によって送り出されているのです。ですから祝祷というよりも祝福というほうがよいのだと思います。
神さまがすべての良いものを備えてくださる、備えてくださっている、との神さまの確かな言葉は、私たちがこれから歩もうとする道に対する見方を根本から変えてしまいます。私たちは、それがどのような道であっても、神さまの良い御心にかなった道なのです。私たちはただその道を喜びと感謝をもって辿ればよいのです。
「永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。栄光が世々限りなくキリストにありますように、アーメン。」(ヘブライ13・20,21)