教会が歌う賛美の歌を通じて

今、甦りのキリストの光が、教会が歌う賛美の歌を通じて射してくる。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、124頁

2020年4月25日(土)

旧約聖書の中の詩編は、そのまま歌われる賛美なのだと思います。古代ユダヤ教は歌う宗教です。それを引きついだキリスト教会も歌う宗教です。新約聖書の中には、初代教会で歌われていた賛美歌であったと想像される言葉がいくつもあるようです。例えばフィリピの信徒への手紙2章6節以降の言葉はその代表的なものなのだと思います。以下のエフェソ5章14節もそのような賛美歌の一つであったと想像されるそうです。

それにしても人間はなぜ歌うのでしょうか。喜びの時、悲しみの時、励ましの必要な時、心をしずめるとき、出発の時、終わりの時、生活の節々に私たちは歌います。

キリストを喜ぶ時、十字架をしのぶ時、悔い改めの時、感謝をささげるとき、静かに神さまを思いめぐらすとき、キリスト教会は賛美をささげてきました。

こんにち長く歌い継がれた賛美歌を歌う時、二千年のキリスト教会に生きた多くの先輩キリスト者のことを思います。部屋でひとり賛美をささげるときも、その無数のキリスト者とともに、私たちは賛美をささげています。

「明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。『眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。』」(エフェソ5・14)