信頼のおののき

神の言葉に耐えられない。だがそこで、神の言葉を自分もおののきながら聴いたに違いない預言者が、この言葉を慰めとして語る。・・・荒野に立つひとよ、あなたこそわたしの顧みに値する、との慰めの言葉を聴く。おののきは、神を畏れる信頼のこころに変えられる。信頼のおののきとなるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、109頁

2020年4月10日(金)

神さまが顧みてくださる者とは、神さまの御前に「苦しむ人、霊の砕かれた人」であり神さまの言葉に「おののく人」である、とイザヤを通して神さまは語られました。イエスさまが山上の説教で「心の貧しい者は幸いである」と言われた言葉に重なります。この「信頼のおののき」を生み出す貧しさこそ信仰に生きるものの幸いであるということです。

しかしおおよそ宗教の世界では、むしろ霊的な豊かさが大切なことのように語られるのではないかと思います。聖書はそれとは全く反対を語るようです。人間として造られたということは、人間として生きるところに幸いがあります。人間を不幸にしてしまうのは、人間が人間として生きることを止め、神のように生きようとしてしまうことなのだと思います。

今日も神さまの前に心貧しく歩むものでありたいと思います。

「これらはすべて、わたしの手が造り/これらはすべて、それゆえに存在すると/主は言われる。わたしが顧みるのは/苦しむ人、霊の砕かれた人/わたしの言葉におののく人。」(イザヤ66・2)