アッバ、幼児語というよりも嬰児語

アッバ、幼児語というよりも嬰児語である。まだ言葉にもならず、赤ん坊が父や母を意識するのか、自分の意志を表すことを覚えたのか、パパともママともアッバとも聞こえる声を発する。それほどに幼いが根源的な父を呼ぶ声が私たちの父である神を呼ぶ声になる。それは、しかし、罪人が恐れを抱き続けているのに、罪赦されて生まれ変わり、神の子としてくださる霊を受けて初めて生まれてくる叫び声である。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、108頁

2020年4月9日(木)

NHK・FMの朝6時から『古楽の楽しみ』という番組がありますが、今週はバッハの『マルコ受難曲』を放送しています。マタイ受難曲、ヨハネ受難曲は耳にしたことがあるような気がするのですが、マルコ受難曲というのもあるのですね。

ゲツセマネの祈りでは、イエスさまが「アッバ」と父に向かって祈っておられます。礼拝や集会で祈りの初めの言葉をいろいろ聞きますが、父なる神さまに向かって、そのご存在の大切さ、尊さを表すがために、ちょっと仰々しい言回しを聞くことがあります。それはそれで大切なことだと思いますが、どのような呼びかけであったとしても、そこに「アッバ」と呼びかける心が大切なのです。「罪人が恐れを抱き続けているのに、罪赦されて生まれ変わり、神の子としてくださる霊を受けて初めて生まれてくる叫び声」でなければ聖書の語る祈りにならないのです。

「こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。』」(マルコ14・36)

「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」(ローマ8・15,16)

「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」(ガラテヤ4・6)