私たちの赦しのために祈っていてくださる

絶望の叫びを私たちに代わって最も深いところで神に向かってあげておられる主が、私たちの赦しのために祈っていてくださるという、この祈りもまた、まことによく主のみこころを伝えている。主を十字架に追いやったことが、どれほど深い罪であるか。ローマ人も、ユダヤ人も、そして私たちも知らなかったのではないか。今でも本当に身にしみてわかってはいないのではないか。その罪の赦しを求めていてくださるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、104頁

2020年4月5日(日)

何をしているのか分からない、それが罪を犯す私たちの状況である、と主イエスさまは祈ってくださいました。罪の深さを知って、自分が何をやっているのかを知って罪を犯しているのではなく、分かっていないのだ、と。何とおやさしいおことばでしょう。赦しのおこころのままに祈っていて下さいます。

もちろんだからといって、私たちに罪はない、ということではありません。あるいみでは罪の深さは、主イエスさまにお出会いしない限り分からないのです。

私たちは十字架の主イエスさまに出会って、自分がどんなに深い罪人であったのかを知らされます。そして神さまはどんなに愛深いお方であるかを知らされるのです。私たちの罪は、神さまがそのいのちをすてなければ贖うことのできなかったほどの深い罪です。また神さまは、ご自身のいのちをすててまでもその罪びとである私たちを救いたいと願われたほどの愛深いお方なのです。

「〔そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。」(ルカ23・34)