その罪人のひとりとして呻くように祈られたのではないか

地上を歩み続けた日々、自分自身が神を捨て、神に捨てられているのに気づかない人びと、しかも神の言葉を聴く耳を持たない人びとの姿を見つめながら、その罪人のひとりとして呻くように祈られたのではないか。なぜ私をお見捨てになるのか! なぜ私たちをお見捨てになるのか!

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、103頁

2020年4月4日(土)

主イエスさまは十字架にかかり死なれました。その十字架の上で祈られた祈りの一つが詩編22編です。「なぜわたしをお見捨てになるのか」と主は祈られたのです。十字架は英雄的な死ではなく、極限までの見捨てられた死である、ということでしょう。この主イエスさまに私たちは日々支えられています。

「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。/わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。」(詩編22編2,3)