玉座に座っておられる方の右手にある巻物の封印を解く資格のある者がだれもいない。その現実に預言者であり牧者であるヨハネが激しく泣いた。牧師シュナイダーのこころがそこで重なった。そして妻がみ言葉を読む。ごらんなさい。あなたのために封印を解いてくださる方がおられる。それは「屠られた小羊!」。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、95頁
2020年3月28日(土)
「その巻物」を説き明かすことのできるお方がおられる、と聖書は語ります。その巻物とは、聖書の意味でもあり人生の意味でもあるのだと思います。苦難の中でその人生の意味が見出せない時も、その意味を確かにお持ちになっていて下さる方を私たちは信じることができるのです。たとえ私たちが人生の意味を見出すことができなくとも、そのお方を信じるので、平安があるのです。あるいは人生の意味を見出さなければならないという束縛からも自由にされているのです。
「この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老の一人がわたしに言った。『泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。』」