十字架でしか対抗できない強敵

「私は、キリストの十字架によって、自分自身に対して守られている」・・・アルブレヒト・ゲースは、この言葉を更にこう言い換えている。「私たちは、主の十字架のおかげで、自分の自由と孤独だけに身を任せないですむ」。・・・私たちの罪の真相が現れてくる自由と孤独を恐れる言葉でもあろう。自由の名において悪魔にさえなり得る自分を恐れているのでもあろう。十字架でしか対抗できない強敵なのである。私たちは、自分の何を恐れるのか。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、94頁

2020年3月27日(金)

自分の好き勝手にすることが自分の幸福につながるとの錯覚から、あるいは孤独の中に閉じこもることで自分があらゆることから守られるという錯覚から、守っていただけるのは、主イエスさまの十字架だけです。そもそもこの自由と孤独こそ私たちの人生にさまざまな問題を起こし、私たち自身を不幸にしていることなのです。父なる神さまへのまったき従順である十字架、すべての人の罪のための十字架こそ、私たちを真に自由にし、真実に自立させるのです。

「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤ2・19-20)