私自身の悲惨を叫ぶ

私が説教の間に、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と叫んだとしたらどうであろう。一般論として人間の悲惨を論じているのではない。私自身の悲惨を叫ぶ。自分のからだは死に定められている。誰かが、私をその状況から救い出してくれなければ、どうしようもない。・・・それは私たちすべての者の悲惨の叫びである。神の律法を与えられておりながら、そこからあまりにも遠い人間の反逆の現実をわがこととして嘆くことを、ここで学ぶのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、90頁

2020年3月23日(月)

自分の悲惨に向き合おうとすると、叫ばずにはおれないのです。それほどに自分の悲惨を嘆くのです。

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ7・24)