『知られざるかけ橋』という伝記がある(黒瀬悦成著、朝日ソノラマ)。桝富さんは自分を主イエスの僕(しもべ)であると常に言っていたという。・・・桝富は当時の朝鮮で、朝鮮独立を求めて総督府経営の公立学校から追われた若者たちを迎えて教育し、日本の神学校で学ばせたりして、死後ではあるが、戦後韓国政府から勲章を与えられた。私たちが、この主の言葉を聴く耳を失っていなければさいわいである。「命じられたことを・・・」(ルカ17・9、10)。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、46頁
2020年2月9日(日)
キリスト者はみな主イエスさまのしもべです。主イエスさまのしもべとして生きることを喜びとします。謙遜ではありません。しもべとして生きることこそ、幸いである、と知っているのです。人生の幸いは、このしもべとして生きることにあるのです。しもべとして生きることを忘れてしまったら、あるいはしもべとして生きることを嫌ってしまったら、人生の祝福が失われてしまうのです。もし自分の人生が幸福でないと感じたなら、しもべとして生きることをはじめてみればよいのです。
「命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」(ルカ17・9,10)