これほどの悲惨であることを知っているであろうか

豚よりも!

息子は豚よりも大切にされなかった。豚以下に堕ちた! 何と厳しいことを主は語られたことであろう。・・・罪を悲惨と捕えることを私たちキリスト者は知っているつもりであるが、これほどの悲惨であることを知っているであろうか。そのことを深く悲しみつつ、よく教えてくださるのが、十字架の主イエスなのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、15頁

2020年1月10日(金)

罪の苦しみに行き詰り、救いを求めて教会に出会い、聖書に出会うというのですが、本当のところは、教会に出会い聖書に出会ってはじめて自らの罪の深さ、その悲惨を知るのだ、と聖書は語るのだと思います。私たちはイエスさまの十字架に出会わない限り自らの罪の悲惨を知ることができないのです。神がその命をすてなければならないほどに、私たちの罪は深かったのです。ですから、イエスさまが神であることを知らないと、自らの罪の深さを知ることができない、ということです。

「彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。」(ルカ15・16)