自分で自分を生かし得ると錯覚している

神の悲しみ

神を殺しても生きられると現代人は考える。そうすれば自分で自分を生かし得ると錯覚している。そして自分の存在を失っている。自分を殺している。そのことを深く悲しむ神は、私どもがみもとに帰ることを待ち続ける。その憐れみのなかで再生することを待ち続けておられる。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、14頁

2020年1月9日(木)

人生が虚しく感じられるのは、自らの創造者である神さまを見失っているからです。神さまなどなくても生きられるとうそぶいているからです。

人間が神さまを見失うことによって人間自身を失っているこの状態を、だれよりも悲しんでおられるのが神さまご自身であると聖書は語ります。

この神さまの憐みの中で人間は人間として再生します。再生。「再び」「生きる」と書くこの漢字は「甦る」となります。復活することによって、永遠の命に生きるものとなります。そうして虚しさから解放されるのです。そのことをだれよりも神さまご自身が願っておられると聖書は語ります。

「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」(ルカ15・24)