この招きは、この私にも向けられている

あなたのあの息子――お前のあの弟

その時、弟を自分の弟とは認めない。「あなたのあの息子」としか言わない。
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羊が戻っても、銀貨が見つかっても、喜びが分かち合われる。それを点にある喜びだと言われる。だが、その天の喜びにファリサイ派も律法学者も招かれる。この招きを聴き、受け入れるとき、弟を拒否した罪を悔い改めざるを得ない。この招きは、この私にも向けられている。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、16頁

2020年1月11日(土)

かつて弟アベルを殺したカインに向かって神さまは、「あなたの弟アベルはどこにいるのか」と問われました。あなたの弟、あなたの兄弟はどこにいるのか、と。

神さまによって造られたすべてのものは、私たちの兄弟なのです。人類はそれを殺してきました。兄弟であり連帯すべきところに分断をもたらしてきました。

「おまえのあの弟」と今日も神さまは私たちに語られます。

「だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(ルカ15・32)