新約聖書はクリスチャンがあらたに生まれるということについて、キリストを着るということについて、キリストが私たちのうちに形づくられるということについて、私たちがキリストの心をもつようになるということについて、語っているのです。
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それは、現実の生きた人格でありたもうキリストがいま、ここに、すなわちあなたが祈っているその部屋のうちにあなたとともにいまし、あなたに働きかけていたもうということです。
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あなたと同じように生きている真の人間、しかも世界を創造したもうたときと同じ真の神でもあられる方が、実際にあなたのもとにきて、あなたの自我そのものに干渉し、あなたのうちの古い、生来の自我を殺し、彼自身のもっておられるのと同質の人格をもって、それに替えようとしておられるということなのです。はじめのうちには、それはほんの束の間にすぎないでしょう。しかし、そのときはだんだん持続するようになります。すべてが順調に行けば、それはついにはあなたを永久的に、まるで異なった人間に、新しい小キリストに、ささやかでもそれなりに神とひとしい生命をもった存在、力と喜びと知識と永遠を神御自身とともにする存在に変えてくれるでしょう。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、485-486頁
2019年12月13日(金)
キリスト者は、日々、イエスさまによってきよめられていくのです。一つの教えを守ろうと努力することではなく、現実にともにいて下さる人格をお持ちのまことの神、まことの人となって下さったお方の愛によって変えられていくのです。
「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1・12-13)