すばらしい演奏は人間に与えられた独特な力を高度に発揮する自然的な活動ですから、演奏者たちの意図がどうであろうと、この意味で例外なく神に栄光を帰するものです。しかし栄光を帰するこの方法は、<竜や深淵>、<霜や雪>と同じ方法です。平凡な人間としての私たちに求められるのは、それとはまったくべつな種類の方法、もっぱら意図にもとづく方法です。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、459-460頁
2019年11月23日(土)
芸術的才能に秀でている人の芸術活動は、多くの人に喜びをもたらします。信仰者の芸術活動と信仰者でない人の芸術活動にはどのような違いがあるのか。おそらく信仰者が信仰に溢れて行う芸術活動は、神さまに栄光を帰すということが、その目的となっているのでしょう。それに対して、信仰者でない人の芸術活動や、信仰者であっても信仰とは別の心をもっての芸術活動は、もっぱら自分に栄光を帰することになるのだと思えます。それでもすぐれた芸術活動は、神さまへの栄光を帰することになるというのでしょう。
芸術的才能に恵まれていない平凡な私のようなものが、神さまに栄光を帰するために様々な活動をしようとするとき、そこで重要なことはなんであるのか。どのようなところに心することが、神さまに栄光を帰することになるのだろうか。
ルイスは「意図」である、と言っているようです。たとえ芸術的にはそれほどすぐれていなくとも、あるいはむしろ劣っているとこの世からの評価を受けようとも、神さまへの愛に溢れて捧げるという意図をもっていることが、大切なことである、ということでしょう。
「正しい者たち主を喜び歌え。/賛美は直ぐな人たちにふさわしい。」(詩篇33・1)