私の自由な行為が宇宙のかたちをつくり上げるのに寄与している

確かに事は(ある意味では、もろもろの世界が創造されるまえに)すでに決まっているかもしれません。けれども、決定の際に考慮に入れられることの一つ、したがって起させる真の原因の一つは、まさに私たちがいまささげている祈りであるかもしれないのです。
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私の自由な行為が宇宙のかたちをつくり上げるのに寄与しているわけです。そうした寄与は<もろもろの世界が形成されるに先だって>なされたものですが、寄与しているという私の意識は、時間の連鎖のうちの特定の一点で私に訪れるのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、442-443頁

2019年11月12日(火)

神さまが、すべてのことをご支配なさり、すべてのことを決定されるのならば、私たちが祈ってもそれにどういう意味があるのか、といった疑問をもつのも無理のないことでしょう。ルイスは、神さまの全能とともに、祈ることの意味を、時間を超越される神さまを見上げること。また、祈っても無駄だと思う私たちの心と、祈りがきかれると信じる私たちの心の違い。そのようなことから説明を試みています。
ちょっと難しくて分からないのですが、熱心に祈るとともに、神さまを道具のようにするのとは根本的に違う祈りの姿勢が大切なのだと思います。

「彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」(マタイ6・8)

「絶えず祈りなさい。」(第1テサロニケ5・17)