祈りは願いごと

・・・なぜなら、祈りは願いごとだからです。願いごとは強制とは本質的に異なっています。かなえられるときも、なかえられないときもあるのです。限りない知恵をもつ存在が有限の、愚かしい人間の願いごとに耳を傾けるとすれば、その存在はもちろん、それをかなえることもある一方、拒むこともあると思われます。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、444-445頁

2019年11月13日(水)

願いをすれば、すべて自動的に実現するということであれば、それはすでに願いではなく、法則の中の原因でしかありません。祈りが物事の原因であり、そこに願い通りの結果があるとすれば、それは強制力の中でおこなわれたことでしょう。神が私たちの強制力によってことを行われるとすれば、その神はもはや神の名に値しないでしょう。フィリピ書によると、祈りの目的は、人知を越えた神の平安によって守られること、と書かれています。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4・6-7)