儀式のうちにわれを忘れて没入することができない無能さ

儀式的なことを儀式的な色彩を排除して行うという現代の慣習は謙遜の証拠ではありません。それはむしろ、儀式のうちにわれを忘れて没入することができない無能さを証するものであり、儀式の然るべき喜びをあらゆる人にとってかたなしにして恥じない姿勢を表わしているのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、313-315頁

2019年8月11日(日)

儀式によって謙遜を学びます。神さまを畏れる心を養うのです。儀式が儀式であり続けるためには、そこに伝統が必要です。伝統が形づくられるためには長い時間が必要です。長い時間によって形づくられてきたものを簡単に壊してはいけないのだと思います。人間の自由によって壊されてしまったところには、結局神さまを畏れる心が育たないのだと思います。

「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。」(第1ペテロ1・17)