未解決の問題を多少とも念頭に置いていれば

未解決の問題を多少とも念頭に置いていれば、解決の希望はあります。問題などありはしないというふりをしていたら、そんな希望からして存在しないでしょう。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、289-291頁

2019年7月25日(木)

今日は「聖ヤコブ使徒」の日ですので、このルイスの本も今日の個所には「使徒ヤコブ」と題がついています。しかし今日の内容はヤコブとはあまり関係がないように思えます。祈りについてがテーマのようです。ただ中でヤコブの手紙からの引用があります。

祈りは、私の願望を実現させるための道具ではありません。奥村一郎神父がその著『祈り』の中に書いておられるように、小舟に乗っている私が、岸につながれているロープを手繰り寄せるようなもの、です。ロープを手繰り寄せることによって、岸が自分のほうに近づいているように見えるけれども、実際は自分自身が岸に引き寄せられているのです。そのように一所懸命に祈ることによって、自分自身が神さまに引き寄せられて行くこと、それが祈りなのです。自分が動く、あるいは変えられることのない祈りは、祈りではなく、偶像礼拝の一種でしょう。

「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11・24)