いかなる人間も他の人間に対して無制限の権力を託するに値しない

私が民主主義者であるのは、人間がひとしく罪に堕ちているということが人間についての真実だと信じているからです。
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人間はいちじるしく罪に堕ちているので、いかなる人間も他の人間に対して無制限の権力を託するに値しないと思われるのです
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平等が薬や衣服や安全装置のようでなく、理想としてたてまつられるとき、おおよそ自己に優越するものを憎む、矮小な、嫉妬ぶかい精神が生れます。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、285-286頁

2019年7月21日(日)

民主主義は、民に主権があるとするかたちなのだと思います。それがよりよく機能するためには、民が善であるということが前提なのだと思います。しかし民は善ではありません。また完全な善になることはありません。ですから民主主義は、もう一つの観点から大切にされなければなりません。それは自分の意見が一番正しいわけではない、ということをわきまえ知るうえでのかたち、ということです。

自分の意見が一番正しいと考えているところで、民主主義を語ろうとすると、とたんに対立する意見を否定しなければならなくなります。私は罪びとであり、完全な善をもっているものではない、と自分をわきまえ知っているならば、対立する意見にも耳を傾けようとするでしょう。それが本当の民主主義なのです。

というようなことをルイスは語っているのだろうと思います。

ということは、民主主義に生きるということは、自分の意見を主張するのではなく、他人の意見に耳を傾ける、そうして自分の意見を、あるいは自分自身を相対化するということなのでしょう。

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2・3,4)