第一のものを第一としなければ

飼犬を生活の中心としている女性は、結局は自分の人間としての有用性も、品位も失うばかりでなく、犬を飼っていることから得られるはずの喜びさえなくしてしまいます。
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「小善を大善に、部分的善を全的善に先んじて選ぶと、このように大きな犠牲を払って得た小善や部分的善すらも結局は失われることになる」のです。
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第一のものを第一としなければ、次善のものを手に入れることすらできないのです。ここから当然生じる、「第一のものとは何か?」という問いは、哲学者ばかりでなく、万人の関心事でしょう。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、280-281頁

2019年7月17日(水)

世界に存在するすべてのものは、神さまがお造りになられたものです。神さまは善であり愛であるお方であって、その造られたものはすべて「善い」もの、愛すべきものです。しかし第一のものを第一にしないで、造られたものそれ自体を第一のものにしてしまったとき、その造られたすべてのものは、善いものでなくなってしまいます。

「また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。」(コロサイ1・18)