道徳的傾向の強い、昔の神学者は、結婚において人間が警戒しなければならない危険は主として、魂を滅ぼすまでに官能に身を任せることだと考えていたようです。しかし聖書はそのような態度を取っていません。
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結婚生活における最も大きな、永続的な誘惑は、私たちの官能に対するものではなく、(むきつけに言って)私たちの貪欲さにつけこもうとするものなのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、254-255頁
2019年6月28日(金)
「むきつけに言って」は、蛭沼訳では「まったく味気ないことであるが」となっていました。大辞林第三版では「面と向かって無遠慮なこと。露骨なこと。また、そのさま」とありました。ちなみに広辞苑第5版には見当たりませんでした。
「貪欲さ」。表面的に現れるものはさまざまですが、その底にあるこの貪欲さこそ、私たちの人生を難しくしてしまうものなのです。また隣人と共に生きることを難しくしてしまうものなのです。
表面的にあらわれるもの。この場合、官能に対する誘惑ですが、コントロールされるべきものですが、それ自体に大きな問題があるわけではないのだということでしょう。
「しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。」(第1コリント7・2-5)