エロスはいわば侵略者

 進化論者はエロス(人間の場合の)を性愛から生ずるもの、太古の昔からの生物学的衝動が複雑化し、発展したものと考えるでしょう。しかし個人の意識のうちでも、これが必然的な経過であったと考える必要はないのです。・・・
きわめてしばしば人を最初に捉えるのはもっぱら、愛の対象への恍惚たる傾向です。相手の全人格に対する、それと特定できない、全的傾倒なのです。

 こうした状態にある男性はじつのところ、性について考えるゆとりがありません。愛する、ただ一人の相手のことをひたすら考えているからです。・・・彼はむしろ、エロスの潮が押しよせて彼のうちの多くの砂の城を崩し、多くの岩礁で島々をつくり、そしていまや強力な第七の波によって彼の本性のうちのこの部分(潮が押しよせるまえから海岸にあった、正常な性愛という、小さな水溜り)をも氾濫させた―そんなふうに感ずるのではないでしょうか。

 エロスはいわば侵略者です。それは征服した国の制度を一つ一つ改革していく侵略者のように、人のうちに入りこむのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、252-253頁

2019年6月26日(水)

エロスの愛を否定的に考えることがあるのだと思いますが、聖書は決してエロスを否定的に考えているわけではないでしょう。エロスの中に含まれている性愛についても、それ自体、神さまが創造されたものなのですから、善であるのだと思います。ただ罪びととなった人間において、それが悪となる場面があるといことでしょう。

「エルサレムのおとめたちよ/野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください/愛がそれを望むまでは/愛を呼びさまさないと。/恋しい人の声が聞こえます。山を越え、丘を跳んでやって来ます。」(雅歌2・7,8)