神に従順か、不従順かといった規範

私は性行為をエロスが伴っているから清らかで、純粋で、まともだとし、エロスが伴っていないから不潔で、不順で、まともでないとする一般的見解に与する者ではありません。
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約束を守るか、破るか、公正か、公正でないか、他人を愛するか、自己のみを愛するか、神に従順か、不従順かといった規範によって正しいとされ、あるいは間違っているとされるのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、250-251頁

2019年6月25日(火)

もっぱら自分の感情のままに生きることが真実に生きるかのように思うところに人間の罪性があるのだと思います。愛がなくなったから結婚を解消するということがあるとすれば、それは本当の愛を育てることをしなかっただけで、最初から本当の愛はなかったのです。ただ自分を愛するということしかなかったのです。自分を愛するということの一つのあらわれとして相手を愛しているかのように錯覚していただけなのです。ですから結婚は人間の前にだけではなく、人間を超えたものの前において契約を結ばなければならないのです。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(1コリント4-7)