最も悪しき快楽は、純粋に精神的な快楽

最後に付加えておきます。必要上、性についてかなり長いこと書きましたが、ここではっきりさせておきたいのは、キリスト教の道徳の中心は貞潔ではないということです。クリスチャンは肉体の罪を最大の悪徳と見なしていると考えている人がいるとしたら、それはたいへんな誤解です。肉体の犯す罪は悪しきものではありますが、罪のなかではむしろ軽いもです。最も悪しき快楽は、純粋に精神的な快楽です。すなわち、自分をよしとし、他の人間を非難していい気持ちになったり、威張ったり、恩に着せたり、他人の楽しみの邪魔をしたり、他人を中傷したり、権力をふるい、憎しみをくすぶらせることに喜びを感じたりといった場合です。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、128f頁

2019年3月31日(日)

貞潔はどうでもよいと言っているわけではありませんが、それは動物的な自己であって、それ以上に悪魔的な自己の方が悪質であるから、そのより悪質である悪魔的な自己こそキリスト者の信仰の戦いの相手であるということです。

「蛇は女に言った。『決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。』女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。」(創世記3・4-6)
「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。」(ローマ13・9)
「律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。」(ヤコブ4・12)