しかし快楽そのものは本来われわれでなく敵の発明したものだ。そう、まさに敵の発明品なのだ。
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だからわれわれは快楽を、自然の状態からできるだけ離れた、快楽そのものの創造者を少しも偲ばせない、また、なるべく楽しくない状態において提供しようと努力してきた。快楽そのものはますます貧弱なものとなり、それに対する欲望は逆にますますつのるように・・・。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、125f頁
2019年3月29日(金)
これは『悪魔の手紙』の中の一節からです。
快楽そのものは悪ではなく、むしろ神さまがお造りになったものであり、それを正しく楽しむならば、私たちにとってとても有益なものである、といいます。正しく楽しむというのは、神さまを偲ぶことを常にその中心に置くということです。
神さまの御手の中にある、ということを忘れないならば、快楽はむしろ私たちの人生になくてはならないものなのです。
いま春を迎えています。大いに花を楽しみましょう。
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」(創世記1・31)
「すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。」(使徒11・9)