奇跡が自然法則に反するものと考えられていなかったならば

聖ヨセフがついに、いいなずけの妊娠は不貞のゆえでなく、奇跡によるのだということを受けいれたとき、彼はその奇跡が人間に知られている秩序と矛盾すると知りながら、それをそのまま受けいれたのでした。奇跡について語るすべての記録は、これと同じことを教えています・・・
奇跡が自然法則に反するものと考えられていなかったならば、どうして超自然的なものの存在を暗示しうるでしょう? 奇跡が法則に対する例外であると受け取られていなかったなら、どうして人に驚嘆の思いをいだかせるでしょう?・・・

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、111f頁

2019年3月19日(火)

聖書の奇跡を非科学的であるとして信じない人がいます。信じるということは、理解できないからこそする行為なのですから、奇跡は非科学的だからこそ信じるのです。
また聖書の奇跡は非科学的であるというがそれはいまの私たちの科学力に限界があるからであって、将来科学が前進すれば聖書の奇跡はすべて解明されるのだ、という人がいます。しかしそうして解明されたところで、聖書の語る信仰が生まれるのかと言えば、どうもそうではないように思います。
奇跡は私たちの知識、知恵を超えたものであり、そこにこそ神さまが神さまであることが記されているのです。
奇跡は理解するものではなく信じるものであって、そこに示されている神さまにお出会いするために聖書に書かれているのです。
ですから主にある者は、この世界の知恵や知識をもってしても八方ふさがりの状況の中にあっても、希望を持つことが出来るのです。神さまはつねに私たちの「枠」外のところからやって来てくださいます。

「神にできないことは何一つない。」(ルカ1・37)