いっさいの搾取といっさいの神学的帝国主義とを排除しようという決意を固めること

魂を救おうという宣教師の聖なる願いは、<土人>を<開化>しようという傲慢な気持ちや干渉がましい衝動と必ずしも無関係ではありませんでした。
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私たち地球の人間とは異質の行動が、当の惑星の居住者の精神的、また生物学的歴史からしてまったく正当であり、神御自身もこれを祝福なさっているかもしれないのに、たまたま地球の人間のそれと違うというだけで、地球の宣教師たちによって罪だと決めつけられる―そんな恐れがないとは言えません。
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私にわかっていることは、そのような出会いに備えて私たちにいま可能な唯一の実際的な心構えは、いっさいの搾取といっさいの神学的帝国主義とを排除しようという決意を固めることです。・・・そのために私たちは、人類に対する裏切り者だとそしられるかもしれません。ほとんどすべての人間から―一部の宗教人からさえー憎まれるかもしれません。それでも私たちはこうした立場を貫きとおして、一歩も譲ってはならないのです。
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私が記憶しているところでは、聖アウグスティヌスは半獣半神のサチュロス、一足人、その他、人間に似た生物が神学上、何らか特定の位置を占めるかどうか、はっきりわかるまで、彼らについての結論は保留する方がよいと判断していたようです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、71ff頁

2019年2月17日(日)

これは面白い議論ですが、現在においては、たとえばLGBTの問題はこれに当てはめて考えることもできるのかもしれません。あるいは韓国、中国、東南アジア、オセアニア、その他の国々に対して過去行なってしまった日本人の残虐行為に対して、どう向き合っていくのかということにも応用できるかもしれません。たとえ世界やあるいは教会からさえ憎まれることとなっても「いっさいの搾取といっさいの神学的帝国主義を排除しようと決意を固める」道を選択したいとあらためて思いました。

「それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。」(ローマ3・29~31)