教会につながりつつ

もしも私たちが神を知ることができるとしたら、それは神みずからが御自身を啓示して下さっているからであって、私たち人間の哲学的な考察の結果ではありません。・・・
キリスト教の伝統がたがいに矛盾していることはあります。・・・道徳的、あるいは知的批判をそれに加えることは、いっこうに差支えありません。許されていないのは、その主題から、倫理的な要素を引き出し、そうした倫理的なもの自体を一つの宗教とすることではないかと思うのです。・・・
私たちは教会につながることができます。教会は、異教と、それ以前のさらに原始的なものを含めて、この世界のかなたからのすべてのメッセージの核心をなすものを現在にいたるまで保ちつづけている、唯一の有形の団体です。教会につながりつつ私たちは、人間性のうちで高次と考えられている要素にさえ依存しない、むしろそうした人間性の全面的粉砕、また再建、すなわちその死と再生のうえに打ち立てられている、唯一の宗教を実践しはじめるのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、28f頁

2019年1月13日(日)

恩師が、教会とは信じる者である、と教えてくださいました。その意味は、教会は信仰の対象であるということだと思います。教会に集まる者は、罪びとですから批判をしようとすればいくらでも批判することができます。しかしそこにこそキリストのからだがあるということを信じはじめれば、批判だけではないものが生まれます。