去った時送られる聖霊
2016年3月14日(月)神の霊がご自身を現されるのは、しばしば私たちがいない時です。
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イエスの友人たちが、イエスの現存の意味を悟ったのは、イエスがいなくなってからでした。イエスの友人たちがイエスの言葉を深く理解し、イエスとの完全な交わりを経験したのは、イエスがいなくなってからでした。彼らが信仰と希望と愛の交わりに集うことが出来たのも、イエスがいなくなった後でした。私たちがイエスのみ名によって友人たちのもとを訪ねる時、すなわち私たちを通してイエスが友人たちのそばにおられるようになる時、私たちは自分たちが去って行く時イエスの霊が来られることを思い、心休めることが出来ます。したがって、私たちが共にいることばかりではなく、いないこともまた、他の人々への贈り物となります。
ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
112頁。
「去る」ということには、あまり積極的な意味がないように思います。
しかし聖書は、この「去る」ということに積極的な意味があることを私たちに語ります。私たちが去ることによって、聖霊なる神さまのご臨在が明らかになる、というのです。私たちがいるばかりに聖霊なる神さまのご臨在が明らかになっていないということがあるのです。
自動ドアの前に立って、一所懸命扉を閉じようとしている姿は滑稽です。自分がそこを去ることによって、扉を閉めるという目的が達成されることを学ばなければなりません。
神さまは、私たちがともにいるということを通して働かれるとともに、いないということを通しても働かれます。あるいはいないからこそ鮮やかにお働きになるのでしょう。
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