存在を生み出す不在
2016年3月13日(日)病気の人や死の床にある人、閉じ籠ったままの人、障害を持った人や孤独な人を訪ねるのはよいことです。同時に、少ししかいられない、あるいはたまにしか行かれないからといって、後ろめたく思わないことも重要です。私たちは自分の限界について言い訳しがちで、そのため人を訪ねた時、言い訳ばかりが先に立ってしまい、その人と心から一緒にいることが出来なくなってしまいます。短い時間でも、病気の人のそばに心から一緒にいることのほうが、忙し過ぎて、たびたび来ることが出来ないと長い時間説明するよりも、遥かによいでしょう。
もし、その友だちのそばに本当にいることが出来たら、私たちが去ったあと、多くの実りがもたらされます。友人たちは、「彼が来てくれた」とか「彼女が来てくれた」と言って、私たちがいるという消え去ることのない恵みを見出すでしょう。
ヘンリ J.M.ナウエン、『今日のパン、明日の糧―Bread for the Journey』
監修者・嶋本操、訳者・河田正雄、
聖公会出版、2001年11月22日第1刷発行、2015年1月17日改訂版第4刷発行、
111頁。
言い訳をする時間があれば、その時間を心から一緒にいるということ費やすことのほうが大切である、ということでしょう。たまにしか来ないくせに・・・と思われているのではないか、などということは考えなくてよいということでしょう。
心から一緒にいるということは、帰った後に「消え去ることのない恵み」をもたらすこととなる、のでしょう。まさにイエスさまはそうでした。
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