「夫れ謙虚は、実行なり、徒言に非ず。仮令謙と云い謙と云ふも、誠に能く己を虚うして謙るに非ずんば、其の身に於て何の益あらん。之れを徒聞して又徒言する者は、徒為にして止まず、禍なり。」
新井奥邃、『聖言』、92
「謙虚は、実際に行うことであり、むだ言葉ではない。たとえ謙遜と云い謙虚と言っていても、真剣に深く自分自身を虚しくしてへりくだっていないならば、その身に何の益があるだろうか。これをむだに聞き、またむだに語る者は、無駄に生きることが止まらず、わざわいなことである。」
それこそ口先だけの言葉として謙遜、謙虚と言っていても、実際の生活の中で、自分自身を虚しく、へりくだっていないならば、それは謙遜なことではありません。よって祝福はないのです。
どのような場面でも、どのような相手であっても、つねに謙遜に生きること。そこに人生の祝福があります。謙遜がただの言葉で終わることのないようにしましょう。
〔聖書の個所〕
私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。
(使徒20章19節)
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