福音書と教会

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〔信仰によるのみ〕
2015年4月30日(木)

教会は、神的なものを人格化し、時間化し、具体化し、世俗化し、実用的な何かにする、多かれ少なかれ包括的でエネルギッシュな試みです。
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カトリック教会には明らかにより良い成功が恵まれており、一方プロテスタント教会は、人が教会人としてあらまほしく思うことが結局はうまくいかないという事実のもとで、比較的多く苦しまなければならない。
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人の口には福音の純粋な宣教、非教会的宣教は存在しません。福音の宣教者はこのような者として常に教会人でもあります、苦難の下に苦しみを共にし、教会の罪に共に責任を負いつつ。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、247ff。

この世には罪があり問題がありますが、教会は神さまの支配されているところなので何の問題もない素晴らしいところである、と言いたのですが、現実にはそうではありません。教会は罪ゆるされたとはいえ罪びとの集まりなので、さまざまな問題を抱えています。しかしそれでいて天国を明らかにするところとして、この地上では唯一の所です。

神さまはこの教会を通してご自身の大切な福音を世界に向かって語ろうとご計画されました。

私たちは「使徒信条」において「公同の教会を信ず」と告白しています。教会とは「信じるもの」なのです。

そこにはさまざまな問題がありますが、そうでありつつも「これがわたしのからだである」と支え続けていてくださる神さまご自身のからだなのです。教会とは信じるものなのです。

(祈り)

神さま、教会を福音から切り離そうとする人間の罪を赦してください。教会にあって福音宣教が前進しますように。

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