「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」。 ローマの信徒への手紙3章28節

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〔信仰によるのみ〕
2015年4月29日(水)

宗教の立場からイエスの「立場」への移行は、神と人間との間の慣れ親しんだものから前代未聞の新しい「計算」方法への移行を意味しています。
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世の中に生じること、それはイエスにおいては神の否定の下に服し、神の肯定の期待が頼りであります。
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人間は常に、神の前で有罪判決を受けた者としてのみ、赦免宣告を受けています。生は常に死からのみ来り、始まりは終わりからのみ、然りは否からのみ生じます。
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信仰の「逆説」は決して回避されることなく、どこででも廃止されることはありません。ソラ・フィーデ、信仰によってのみ、人は神の前に立ちます。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、246f。

律法によるのか、それとも信仰によるのか。二つに一つです。中間はありません。

信仰によって歩むか、それとも信仰のみによって歩むか。
信仰による、ということは、律法によるのではないということです。
どうして人間はすぐに信仰に混ぜ物をしてしまうのでしょうか。
それこそ人間の罪なのでしょう。

(祈り)

神さま、信仰によってのみ歩ませてください。

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