〔フィリピの信徒への手紙のキリスト賛歌〕
2015年4月24日(金)絶対的な神の自由の内にキリストは神と等しい身分を、自らの存在の認識しうる一切をお捨てになるーそれを隠されただけではありません。父なる神がキリストをご存知のように、キリストだけが自らを知るところへ赴かれます。
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何処にキリストの神性の輝く王冠はあるのか。墓のようにまさに肉の低さが神性の高さを覆っている、とカルヴァンは言っています。肉の低さがすべてに一貫しています。
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完全な自由、神と等しい者自身の完全な王なる主権が、この身分を隠すことの根拠です。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、236f。
イエスさまはまことの神さまだからこそ、まことに人となられました。ご自身の自由の中で。ここに神さまの真実の愛があります。
イエスさまは私たちとともにいると約束をしてくださいました。まことの神さまなので、そうすることができます。またそうすることをお望みになりました。
イエスさまは、全くの自由の中で、神さまとしての権威の中で、私たちを愛してくださるのです。イエスさまの私たちに対する愛は決して変わることがありません。永遠の愛で愛していてくださるのです。
(祈り)
神さま、揺るぐことのないあなたの愛に生かされていることを感謝します。
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