〔モーツァルトへの感謝の手紙〕
2015年1月27日(火)あなたへの感謝の心はありのままに言って次の一事につきます。つまり、あなたを聴くとき、私はいつも、陽光と雷雨、昼と夜、良く整えられた世界の入り口に身を置き、立たしめられる、と同時に20世紀に生きる人間として、聞く度毎に、(高慢ならざる)勇気を、(過度ならざる)テンポを、(退屈ならざる)純粋さを、(怠惰ならざる)平和を贈られていると実感するのです。
・・・
あなたが今おられるところでは音楽の事情がどのようなものであるかは、私にはぼんやりとしか分かりませんが、この点について抱いている私の想像を、こんな形で言い表してみました。
「天使たちが神様を賛美しようとして、バッハを演奏するかどうか、これはどうも確信が持てない。けれども、彼らが相集まったとき、モーツァルトを演奏する、その時神様もその演奏を、ことのほか悦んで傾聴なさる、これは確かだ」と思います。
さて、二者択一は間違っているかもしれません。それにあなたはその点について、言うまでもなく私よりずっとよく分かっておられます。あえてこの点に触れましたのは、あなたに比喩を用いて、私が考えておりますことをそれとなくお伝えしたかったからなのです。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、68ff。
天国では神さまはバッハも喜んでお聞きになると思いますが、それはさておき、このバルトによるモーツァルトへの感謝の手紙には、信仰における音楽の大切さを思います。
高慢でない勇気
過度でないテンポ
退屈でない純粋さ
怠惰でない平和
これらが音楽によって私たちの人生に取り戻させてくれるというのです。あるいはこれらに生きる道が音楽によって与えられていることを実感するということでしょうか。
私たちの人生の問題は、いろいろと現実に与えられているもろもろの問題が問題なのですが、しかしそれ以上に、高慢な勇気、過度なテンポ、退屈な純粋さ、怠惰な平和に生きることが問題なのです。
人間は弱く、またこの肉体をもって生きていますので、肉体ならではのありようがあります。精神だけで生きているのではありません。そのまことの人間としての生き方を取り戻すことを神さまは誰よりもお望みになっておられるのです。
(祈り)
神さま、音楽をはじめあなたが与えてくださったすべてのものを感謝します。どうかすべてのものを用いて、高慢な勇気、過度なテンポ、退屈な純粋さ、怠惰な平和に生きてしまうことから守ってください。
コメントを残す