1月3日
詩篇119編1節このような困窮に陥っている敬虔な者こそが、それまでのすべての保護と、その時まで変わらずに与えられているすべての賜物について感謝できる特別の理由を持っているのではないであろうか。
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もし神が人間の功績と価値とに応じてふるまうことを望んだとしたら、われわれは怒りと刑罰以外の何ものをも得ることができない。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、7頁。
神さまが聖書を通して語っていて下さる人間の幸い。それは律法に歩むことです。律法は神さまが、このように歩めば人間は幸せである、と教えて下さった道です。そうです。神さまは人間が幸せに生きることを誰よりも望んでいて下さるのです。そして幸せに生きることができるように道を示し導いてくださるのです。
人生の現実は不公平です。正直者を馬鹿を見、そうでないものが豊かに生きるといった不公平を見ます。自分が敬虔に生きていると思っていると、神さまへの不満が出てきます。しかし自分が敬虔に生きているとは言えないということがわかると、今こうしていかされていることに感謝が出てきます。罪人を憐れんでくださる神さまのお心は人間的には不公平かもしれませんが、私のような罪人にはただただ感謝でしかありません。
こうして生かされていること。本当に感謝です。
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