すでになされた救いの業ー将来への確実な約束

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1月2日
詩篇119編1節

決断はすでになされ、初めはすでにもたらされ、業はすでに行なわれ、しかも神によって行なわれたのである。このことをわれわれが認め、また神の決断と初めと業とに実際に遭遇し、それらの中に自分が引き入れられているのを知るときに、はじめて、われわれは神の戒めを、生きた生活のための律法として聞くことができるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、5頁。

神さまの戒めに生きることができるのです。罪人である私が神さまの戒めに生きることができると語るのです。

どうすればそれができるのか。自分の力で、自分の決断で神さまの戒めに生きようとするなら、それはできません。

ただ神さまのわざにすでにあずかっていること。神さまは私のためにすでに御業をなしてくださったこと。そのことを認め、そのことに出会い、そのことを経験し、そのことの中に自らが引き入れられているのを知ること。

そのような信仰によって神さまの戒めに生きることができるのです。

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