1月4日(土)
詩篇119編2節「主のあかし」とは、主を尋ね求めて歩む者たちがその途上で迷わないようにと、神が定めた警告のしるしである。
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したがって、十戒や、契約の箱や、幕屋においてただ神ひとりだけを見いだし、拝する者こそだ、それらの持つ本当の意味を知るのだと言える。
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多くの言葉の中に真の言葉を、律法の中に福音を求めるのである。このように神のあかしを守る者、心をつくして神を尋ね求める者こそが幸いな者なのである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、8頁。
「主のあかし」と訳されている言葉は、新改訳聖書では「主のさとし」、新共同訳聖書では「主の定め」とそれぞれ訳されています。神さまが私たちに与えてくださった「さとし」「定め」。それは十戒であり契約の箱であり幕屋であるといいます。
十戒は、このようにしなさいと神さまが人間に与えてくださった10の戒めです。その戒めの内容は、神さまを愛し隣人を愛することです。契約の箱は、この十戒を納めた箱ですから、人々はこの契約の箱を見るたびに、十戒を覚えるのです。幕屋は神さまとお出会いする場所です。のちに神殿となりましたが、神殿と違うところは、幕屋は常に仮設であったということでしょうか。固定化せずにいつも生き生きと神さまにお出会いする場所としてあったということでしょうか。
神さまはそういったものを私たちに与えてくださり、常に神さまを覚えることができるように、神さまを尋ね求めることができるようにしてくださいました。そして尋ね求める者には、神さまは必ず発見できるように導いてくださいます。そう約束してくださっています。
聖書の言葉、教会堂、それらによって私たちは神さまを尋ね求めるのです。
神さまは今日も私と共にいてくださり、ご自身を現してくださいます。
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