キリストを啓示するために、私たちの心の中に起こる神からの力強い働きは、贖いとその信仰を私たちに力強く吹き込んでくれます。
ペトロの手紙第1、1章3節
2013年10月4日(金)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
297頁
キリストを啓示する。啓示とは「revelation」でしょうか。もしそうだとすれば黙示とも訳される言葉ですね。あらわし示すことですが、「人知を以て知ることのできない神秘を神自らが人間に対する愛の故に蔽いを除いてあらわし示すこと。」と広辞苑にはありました。
キリストを知ることはまさに啓示のわざなのです。人間のわざではないのです。神さまのわざなのです。
その神さまのわざである「キリストを啓示すること」は具体的にはどのようにしてなされるのか。
それは「私たちの心の中に起こる神からの力強い働き」によってなされるといいます。つまりそこでも神さまのわざなのです。
そしてその神さまのお力によって「贖いとその信仰を私たちに力強く吹き込んでくれ」るのです。ここでも神さまのわざなのですが、「贖いとその信仰」が私たちの中に力強く吹き込まれることによって、キリストが啓示されるのです。
贖い、それは奴隷から解放されるという意味です。罪の奴隷から、悪魔の奴隷から、自己中心の奴隷から解放されたということ。その信仰が私たちに力強く吹き込まれる。力強くなっていく。人間のわざではなく、私の努力でもない。ただ神さまの一方的な愛によって、私は贖われたのだ、という信仰が強くなる。そのことによってキリストが証しされるのです。神さまのわざが人々に知らされるのです。キリストを啓示することができるのです。
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