自分自身の変革

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神によって与えられる力強い信仰において、神は「高慢を打ち倒し、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに従わせ」(第2コリント10章5節)るのです。そしてこれは、それを信じる者にとって可能です。

ヨハネの手紙第1、5章4節
2013年10月3日(木)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
296頁

「思惑」。これは新共同訳聖書からの引用です。新共同訳には「おもわく」とふりがなが打っています。

しかし「おもわく」であるならば「思わく」としたほうがいいのかもしれません。

この言葉は本来「しわく」と読み、意味は「〔仏〕世間の事物に対しておこす貪・瞋・痴などの迷い。三道のうち修道において断ぜられる。思想的な迷いである見惑に対し、より深い情的な迷いで、対治が困難。」と広辞苑に書かれていました。聖書の意図するところではないのかもしれませんが、全く外れているわけでもなさそうです。

さて神さまによって与えられる力強い信仰は、私たちの高慢や思いを打ちこわしとりこにしキリストに従わせるといいます。自分自身の変革、それが信仰の力です。自分自身を変革されていない、変えられていないならば、神さまによって与えられている信仰に生きているとは言えません。どんなに立派な奉仕をしても、多くのささげものをしても、犠牲を払っても、自分自身が変えられていないならば信仰に生きているとは言えず、何の意味もありません。人生は空っぽのままです。

キリスト信仰は、自分自身の変革です。その力があります。

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