私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神

静まりの時

  • テーマ:たがいに徳を高める
  • 聖書箇所:第二ペテロ1・3~10
  • 日付:2026年06月27日(土)

3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。

神さまが私たちを救ってくださったのは、「ご自身の栄光と栄誉」によります。ひたすら神さまのわざです。しかしそれを「私たちが知った」ということは、やはり私たちのわざである、ということになります。けれども、そこで知った神さまが、全能の神、であれば、その「私が知った」ということも神さまの御手の中にあることを知ります。もし依然、「私が知った」ということが私のわざのみと捉えているならば、そこで知った神は、全能ではない、と告白していることになります。

さて、そうして神さまにお出会いさせていただいたのには目的があります。あるいは結果があります。「主イエスの、神としての御力」は「いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました」。救われたことによって、私たちは「いのちと敬虔をもたらすすべてのもの」をいただいたのです。では「いのちと敬虔をもたらすすべてのもの」とはいったい何であるのか。

4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。
9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。
10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。

救われてもなお「これらを備えていない人」がいる。それが教会の現実でした。ですからペテロは語ります。「あらゆる熱意を傾けて」「いっそう励みなさい」と語ります。そのように生きるならば「決してつまずくことはありません」。

これが、「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵み」であり、イエスさまを信じた者はみなこれらを「豊かに与えられるのです」。

永遠のいのちは、死後のいのちである、とともに、今生きる私たちの今ある恵みであることが明らかにされています。罪が赦され死んでも天国に行けるのだから、今何をしていても大丈夫、と開き直って好き勝手気に生きることが、如何に聖書的ではないかは明らかです。本当に永遠のいのちの喜びを味わう者は、「あらゆる熱意を傾けて」自らを新しくすることに「いっそう励み」ます。