静まりの時
- テーマ:たがいに徳を高める
- 聖書箇所:テトス2・1~8
- 日付:2026年06月26日(金)
しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。
年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。
同じように、年配の女の人には、神に仕えている者にふさわしくふるまい、人を中傷せず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。そうすれば、彼女たちは若い女の人に、夫を愛し、子どもを愛し、慎み深く、貞潔で、家事に励み、善良で、自分の夫に従順であるように諭すことができます。神のことばが悪く言われることのないようにするためです。
同じように、若い人には、あらゆる点で思慮深くあるように勧めなさい。
健全な教え。すなわち聖書の教え、キリスト教の教え。その教えを語るのに「ふさわしいこと」を語る。ふさわしい語り方がある、ということかもしれません。あるいは、聖書の教え、キリスト教の教えは、十字架と復活の教え、そこに現わされた神さまの愛と義、その基本的な教えにふさわしいこと、生活の中でのこまごまとしたことについても、神さまの愛と義にふさわしい生き方がある、ということかもしれません。
ここで、年配の男の人、年配の女の人、そして若い人、それぞれに、具体的な教えが語られています。誰に対しても同じように語るべきですが、同じ言葉を語ったとしても、相手が変わると、受け止め方も変わります。相手に対して語ることばを変えることが、同じように語るということかもしれません。それぞれに対してふさわしく語る、ということも、ふさわしいことを語ること、かもしれません。
また、あなた自身、良いわざの模範となりなさい。人を教えることにおいて偽りがなく、品位を保ち、非難する余地がない健全なことばを用いなさい。そうすれば、敵対する者も、私たちについて何も悪いことが言えずに、恥じ入ることになるでしょう。
テモテには、敵対する者がいた、ということです。つづいて「私たちについて」とありますので、それはテモテに対して敵対していたというよりも、教会に対して敵対していたということです。さまざまな非難のことば、悪いこと、が語られていた、投げかけられていたのです。
歴史に登場する有名な牧師たちも説教中になげかけられるヤジでその内容が聞きづらかったなとどいう記録も残っているようです。真理を語る、ということは、決して非難されない、ということではない、むしろこの世は非難する、ということかもしれません。
パウロはテモテに対して、自分自身についてはひたすら良いわざの模範となるようにと勧めます。偽らない、品位を保つ、非難する余地がない健全なことば、を用いる。説教においても、牧会上でも健全なことばを語る。
なかなか難しいことですが、牧師はそのように召されているのだと思います。
健全なことば。ことばの健全さ、というのはいったいどういうことか。正しい言葉、文法的に間違いのない言葉、耳障りの良いことば、丁寧なことば、敬語がちゃんと使えていることば、などなど。この世においての健全さも大切だと思いますが、やはり主にある愛と義の言葉ということではないか、と思います。