静まりの時
- テーマ:奉仕
- 聖書箇所:マタイ5・13~16
- 日付:2026年06月29日(月)
13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。
14 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。
15 また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
地の塩、世の光に、なりなさい、と主はいわれたのではありません。あなたがたは、地の塩、世の光です、といわれたのです。主にある者はみな、すでに、地の塩、世の光なのです。
ですからここで私たちがすべきことは、与えられた塩気を発揮すること、世を照らす光としてすべての人を照らすように燭台の上にのせること。それはすなわち、生きる、ということだと思います。
主にあって喜びと感謝をもって生きてさえいれば、私たちの内なる御霊さまが発揮されて、世をきよめ、味付けし、人びとをあたたかく照らすのです。なんと幸いな人生でしょう。
「人々があなたがたの良い行いを見て」。行いではなく信仰によって救われるということばは、少し誤解されやすいと思います。聖書は信仰と行いを対立的には語っていません。健やかな信仰は健やかな行いを生み出します。生きている、ということ自他すでに行いです。主にあって生きているという行いは、この世をきよめ、味付けし、人びとをあたたかく照らします。そうして天のお父さまがあがめられるのです。