キリストの血は主の受難の功績を示すために用いられます。
ヘブライ人への手紙9章14節
2013年7月15日(月)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
212頁
功績とは、てがらのことです。何かをなしたことによってもたらされたうれしいこと、モノ、のことです。
イエスさまの血によって人間は罪からあがなわれました。その業績は功績をもたらします。あがなわれた者は清くされるのです。清くされるという功績のためにもキリストの血は用いられます。私たちはキリストの血によってあがなわれ、キリストの血によって清くされるのです。
しかしこのことが実際信仰生活の上でどのような恵みが私たちのもたらされるのでしょうか。
それはあがなわれることも清くされるのも両方とも神さまの技であるということでしょう。
一方的な神さまの愛によって罪からあがなわれ永遠の命をいただいた私たちですが、いざ信仰生活となると自分自身の力によって前進しなければならないというのでない、と聖書は語るのです。
信仰生活の前進も主の十字架と復活によるのです。
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