神の憐れみへの信頼

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私たちが神の子であるという信仰は、信仰箇条を信じることを意味するだけではなく、私たちを主イエス・キリストによって神が憐れんでくださることを信頼することです。

へブル人への手紙10章38節
2013年6月12日(水)

『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
177頁

イエスさまを信じた者はみな神さまの子どもです。例外はありません。イエスさまが私の罪のために十字架上に死に、三日目に甦ってくださったことを信じる者はみな神さまの子どもです。

神さまをの子どもとして新しく生まれた者は、神さまの子どもとして成長していきます。神さまの子どもとして生まれたのに、相変わらず神さまの子どもではないように育ってはいけません。そんなことをすれば成長はありませんし、せっかくいただいた命がいつの間にか死んでしまいます。

神さまの子どもではないように育つということ。それは人間の力をいたずらに信頼して生きるということです。あらゆることが自分の力によって成り立っていると信じて生きてしまうことです。このような生き方は平安を生み出しません。また共に生きる者との関係を破壊します。

神さまの子どもとして成長するということは、神さまにいつも信頼して生きるということです。神さまの何を信頼するのか。それは神さまが憐れみ深いお方であるということを信頼するのです。

神さまの子どもになっても人間は罪を犯します。この地上にいる限り人間は罪の中に生きてしまうものなのです。イエスさまが十字架と復活によって成し遂げてくださった贖いのみわざ、そして神さまの赦しは、過去の罪だけを赦してくださったものではありません。過去も現在も将来も、そのすべての罪を赦してくださったのです。

この神さまの憐れみに今日も信頼して生きていきましょう。神さまのよって生かされていることを感謝しましょう。

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