静まりの時 詩篇143・7~12
日付:2024年01月23日(火)
8 朝にあなたの恵みを聞かせてください。
私はあなたに信頼していますから。
行くべき道を知らせてください。
私のたましいはあなたを仰いでいますから。
9 主よ 私を敵から救い出してください。
私はあなたのうちに身を隠します。
10 あなたのみこころを行うことを教えてください。
あなたは私の神であられますから。
あなたのいつくしみ深い霊が
平らな地に私を導いてくださいますように。
(8-10)
神さまの恵みを、朝に聞く。昼でもなく夜でもなく、朝に聞く。朝は、一日の始まりです。その一日の始まりに、まず神さまの恵みを聞く。
神さまの恵みは、聞くものです。私の内側から出てくるものではありません。神さまの恵みは私の外から流れ込んできます。
神さまの恵みは、私のどこを入り口として流れ込んでくるのか。聞くというのですから、耳から流れ込んできます。そして心で受け止めます。
神さまの恵みの大きさは無限です。その無限の恵みを、私の小さな耳が受け止めきれるであろうか。私の耳の穴の小ささが、神さまの恵みを限りあるものとしてしまうのではないだろうか。
口ならば開くこともできます。しかし耳は自分で開いたり、大きくしたりすることができません。神さまの無限の恵みをいただくためには、耳は「澄ます」のです。
自分でも気づかないほどに、多くの音が耳から入ります。神さまの恵みも同じように耳から入ろうとするのですが、あまりにも他の音が多すぎて、神さまの恵みがそれらに紛れてしまいます。
静まって、心を静かにして、耳を澄まして、神さまの無限の恵みを聞きましょう。
耳を澄ますために必要なことは、神さまへの信頼です。神さまへの信頼が揺らぐと、さまざまな他の音が聞こえてくるようになります。あるいは他の音を聞かなければならない、という焦りが生まれます。時代に取り残されるのではないか。情報難民になるのではないか。そうして生きるのに最も大切な神さまの恵みを聞き逃してしまいます。
私にとって最も大切なものは神さまの恵みであること。神さまは朝ごとに私に、その恵みを語ろうとしていてくださること。神さまを信頼して、神さまの恵みに耳を澄ませたいと思います。
「さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1・35)
「さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。・・・すると見よ、イエスが『おはよう』と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。」
(マタイ28章1~)「主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。」(黙示録22・21)
「あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって 安らかな地に導いてください。]
(詩編143・10b、新共同訳)