静まりの時 詩篇5・1~8
日付:2024年01月24日(水)
3 主よ 朝明けに 私の声を聞いてください。
朝明けに 私はあなたの御前に備えをし
仰ぎ望みます。(3)
新共同訳
4 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。
朝ごとに、わたしは御前に訴え出て
あなたを仰ぎ望みます。(4)
共同訳2018
4 主よ、朝に私の声を聞いてください。
朝が来る度に、あなたに向かって身を整え
待ち望みます。(4)
「朝明け」と訳されている言葉は、新共同訳では「朝ごとに」、共同訳では「朝が来る度に」。朝は、一日の始まり。一日の始まりに神さまの御前に出ること、御前に備えをなすこと、身を整えること。
神さまの前に備えをなすこと。神さまの御声を聞くこと。しかしこの詩篇の著者は、まず「私の声を聞いてください」とまず祈り願います。
深呼吸をする。深く息を吸うために、まず深く息を「吐く」。深く息を吐くと、おのずと深く息を吸うことが出来るといいます。
「この地上にあるかぎり、煩いなしの人生はありえない。祈りのときにこそ、煩いは増すばかりのこともある。祈りは雑念によってみたされ、祈りがどこにあるかさえもわからなくなってしまうこともある。そこにもなお、否、そこにこそ祈りがなければならないとすれば、祈りとは、首まで、頭の上にまで覆いかぶさる生活の煩いのさなかにありながら、なお神のうちに身も心も沈めることである。そのとき、もろもろの煩いは煩いではなくなって、『祈りの糧』にさえなる。祈れないのですと祈るとき、祈りは人の業ではなく神の営みとなる。愛せないのです、愛させてくださいという悲しみと願いのあるところに、人の愛ではなく、神よりの愛が働きはじめる。・・・」(奥村一郎、『祈り』、女子パウロ会、1974年、43頁f)
神さまの前に深く息を吐くように、思い煩いを注ぎ出す。ありのままに、素直に、心を注ぎ出す。朝に、朝ごとに、心を注ぎ出す。そうして思い煩いでいっぱいになっている心を徐々に空っぽにしていく。神さまのお語りになるスペースを造っていく。
卑小なる人間よ、今しばらくの間、その職務を離れ、しばし喧騒を極める世界から身をひけ。今は重荷となっている杞憂を忘れ、心を乱す業務の履行を延期せよ。しばらくの間、神のために時間を割き、しばし、神のうちに憩え。あなたの精神の「個室に入り」、神と、神を求めるために助けとなるもの以外はすべてを排除し、「戸を閉めて」神を求めよ。今こそ、「私の心」よ、語れ、今こそ、神に語れ、「あなたのご容顔を私は求める。主よ、私はあなたのご容顔を求める」と。
(アンセルムス、「プロスロギオン」、古田暁訳、聖文舎、1980年。)
ちなみに表題を1節と数える新改訳と、数えない協会訳とは1節ずれています。