エジプトにいるヨセフ

静まりの時 マタイ2・19~23
日付:2023年12月27日(水)

19 ヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。
20 「立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。」
21 そこで、ヨセフは立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に入った。
22 しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた。さらに、夢で警告を受けたので、ガリラヤ地方に退いた。
23 そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「彼はナザレ人と呼ばれる」と語られたことが成就するためであった。

 「ヘロデが死ぬと」。聖書の中にはヘロデという名の人物が複数登場しますので、ややこしいのですが、このヘロデはいわゆる、ヘロデ大王、のことです。かつてソロモン王の建てた神殿は捕囚によって崩壊しました。その後帰還が許されて再建された神殿は、ちょっとしょぼいものでした。いつかあのソロモン王の建てた神殿のような荘厳な神殿を建てたい、と人びとは、特に信仰的な人びとは願いました。その願いに応えたのが、このヘロデ大王でした。それはそれは荘厳で立派な神殿を建てて見せたのです。ヘロデ大王は生粋のユダヤ人ではないと言われます。それを揶揄した人もいたことでしょう。そういう陰口を払拭するように、大きな神殿を建てたのです。政治家、権力者のすることはいつもそういうことです。箱もので人心を集めようとするのです。その神殿の一部が現在は、嘆きの壁、として人びとの祈りの場になっています。

 その権力者によって翻弄される家族。それがマリア、ヨセフ、そして幼子イエスさまです。疑心暗鬼にかられた権力者によって、幼子を抱えた家族が右往左往しています。幼子イエスさまはもちろん神さまですから、一瞬にしてヘロデ大王の権力を奪うこともできたでしょう。しかしそうはなさらず、幼子となって権力者に翻弄される弱さの中に立ち続けてくださいました。

 幼子となられた神さまとともに旅をするマリアとヨセフ。今朝の個所には、そのヨセフが、夢で導かれてナザレの村に住み始めるまでのことがごく短く記されています。

 出産後間もない妻と生まれたばかりの赤子を連れて、長旅をするヨセフ。その旅の過酷さを思います。今ならコンビニもありますし、旅のサポートはさまざまな形で存在します。しかしそれらが一切ないこの時代。ヨセフたちは、エジプトでの慣れない生活の中にあります。
 その生活に突如終わりが来ました。「見よ、御使いが夢で、エジプトにいるヨセフに現れて言った。『立って幼子とその母を連れてイスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちを狙っていた者たちは死にました。』」。
 このお告げを聞くと、ヨセフは直ちに祖国イスラエルに帰って行きました。

「しかし、アルケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞いたので、そこに行くのを恐れた」。

 アルケラオ、以前の訳ではアケラオ。ヘロデ大王の死去後、イスラエルは分割統治され、その一つであるユダヤを、ヘロデ大王の多くの子どもの一人であったこのアルケラオが統治していました。そのアルケラオをヨセフは恐れたのです。すると「夢で警告を受けた」とあります。神さまは恐怖するヨセフに寄り添ってくださいました。その警告に従ってヨセフは、ガリラヤ地方に退きました。その結果ナザレという町に住むことになりました。聖書はこのこと自体も預言の成就である、と語ります。

 ヨセフという人は、今も昔も、夢見る人です。かつて奴隷からエジプトの大臣となり世界を飢饉から救ったヨセフも夢見る人でした(創世記)。いま救い主の誕生において重要な役割をするヨセフも夢見る人です。
 夢を見る人、といっても、現実離れした自己中心的な生き方というわけでは全くありません。むしろ現実に立ち向かい、神さまに導かれるまま、柔軟に従う人でした。どんなに過酷な中にあっても、神さまの傍らに立ち続けた人でした。私たちもそのようでありたいと思います。

 イエスさまのこの地上の歩みの始まりに重要な役割を果たしたヨセフ。イエスさまの地上での歩みの終わりにも、もう一人のヨセフが重要な役割を果たします。

「夕方になり、アリマタヤ出身で金持ちの、ヨセフという名の人が来た。彼自身もイエスの弟子になっていた。この人がピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願い出た。そこでピラトは渡すように命じた。ヨセフはからだを受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。そして墓の入り口に大きな石を転がしておいて、立ち去った。」
(マタイ27・57-60)

 このヨセフは、イエスさまの弟子ではありましたが、ユダヤ人を恐れてそれを隠していた(ヨハネ19・38)と紹介されています。しかしこのヨセフにも、重要な役割、他の弟子では不可能であった奉仕をすることになりました。神さまは誰にでもその人でなければ成せない奉仕を用意していてくださいます。
 このヨセフの墓は、復活の主の証しとなります。キリスト教が立つか倒れるかは、この復活にかかっています。その重要な礎の場を提供したのがヨセフであった、といってもよいと思います。
 降誕と復活。二人のヨセフの信仰は重要な鍵でした。決して強い人たちだったわけではありませんが、彼らの、その柔軟な心、忠実さ、信実さを、神さまはお用いになられたのだと思います。

 ずいぶん慣れたとはいえ、このところ団体職員の年末調整作業でじたばたとしています。