静まりの時 創世記41・47~49
日付:2023年11月14日(火)
さて、豊作の七年間に、地は豊かに実らせた。ヨセフはエジプトの地で穫れた七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々に蓄えた。町の周囲にある畑の食糧を、それぞれの町の中に蓄えたのである。ヨセフは穀物を、海の砂のように非常に多く蓄え、量りきれなくなったので、ついに量るのをやめた。
(創世記41・47~49)
エジプトの王パロは、エジプトをはじめ地中海を中心に世界的な飢饉がやってくることを夢で知りました。その夢の説き明かしをしたヨセフは、それまで牢獄につながれていましたが、その功が認められ解放されます。解放されただけでなく、エジプトの大臣とされ、まもなくやって来る飢饉への備えをすることを命じられました。
王の夢によると、飢饉のまえに豊作の7年があるとのことでした。それでヨセフは、その豊作の7年間に、地の作物を蓄えました。「町の周囲にある畑の食糧」を「それぞれ町の中に蓄えた」というのですが、安全な場所に保管した、ということでしょうか。今日では、銀行に預けた、というようなことかもしれません。このようにヨセフは、エジプトに数え切れないほどの富を蓄えたのです。こうして飢饉の7年に備えました。
やってきた飢饉は世界規模のもので、エジプトもその影響を大きく受けることになります(41・56~)。しかしこのヨセフの経済政策によってエジプトは飢饉を乗り越えます。また飢饉で困窮した近隣の国々を救うためにエジプトは用いられました。
信仰をもって生きる、ということは、神さまに御頼りして生きることですが、その日暮らしをしなさい、ということではありません。預金をしない、ということでもありません。神さまを信じて生きる、ということの中には、経済ライフをしっかりと考え、見通しを持ち、計画を立て、蓄えをしながらこの地に生きる、ということを大切にします。私たちは自分一人で生きているのではありません。もし経済的に行き詰まることがあれば、他者に迷惑をかけることになるでしょう。あるいは、責任をいただいている家族を路頭に迷わせることにもなるでしょう。この地に生きる私たちは、健やかに経済管理をしながら生きるようにと神さまに招かれています。
このヨセフの政策は、エジプトの国だけが生き残るためのものではありませんでした。当時エジプトは、普段から世界の穀倉地帯として、近隣諸国に食料を供給する大切な国でした。エジプトが困窮する、ということは、世界の困窮を招きます。ヨセフの政策は、世界を救うことになったのです。
豊作の7年と飢饉の7年が、夢で知らされたのはエジプトの王でした。しかしそれを説き明かすことになったのは、神の民であったヨセフでした。その時ヨセフは牢獄にいました。神さまは、その牢獄にいたヨセフを用いられました。牢獄にいることになった理由は非常に理不尽なことでしたが、牢獄にいたことによって、同じ捕らわれの身であった王の側近たちとの出会いが与えられました。そこから王の夢を説き明かす道が開かれたのです。神さまの御手はあらゆるところにありました。神さまのご計画があったのだと思います。
神さまは、長い苦難の道のりを経たヨセフを用いて、エジプトを救い、世界を救われました。神さまは全能者ですから、人間の手を借りずとも瞬時に世界を飢饉から救うこともできたでしょう。しかしそうはなさらず、ヨセフを神さまは用いようとなさったのです。ヨセフは、どんなに理不尽な中に置かれても、人生を諦めることなく、その時その時を誠実に、真実に生きようとしました。理不尽な中にも忍耐をし続けた一人の信仰者を、神さまは世界を救うための用いられたのです。
飢饉がやってくると世界中から食糧を求める人びとがエジプトにやって来ました。これは、不幸な中に生き別れとなったヨセフの兄弟たちや父ヤコブと、ヨセフとの再会の道を生み出します。それは緊張の時でしたが、しかし涙の再会の時、赦しの時、修復の時、喜びの時となりました。飢饉がなければ、このような時は実現しなかったでしょう。
ヨセフが兄弟たちと生き別れることになったのは、兄弟たちの妬みからでした。そのような妬みを兄弟たちの中に生んだのは、多分に父ヤコブの子育てに問題があったからでしょう。ヤコブのえこひいき。それが原因で兄弟たちの中に不和を生んだのです。兄たちはとうとう弟ヨセフを殺そうとまでしてしまいます。神の民の家庭事情は、このようなありさまだったのです。
人間的に見れば修復不可能の決定的な亀裂が生まれたのですが、その決定的な亀裂が、世界的な飢饉によって修復されます。神さまは、人間の罪によって破壊された一つの家庭を修復するために、世界的な飢饉をお用いになりました。なんと壮大なことでしょう。
それはヤコブの家庭が、神の民の家庭である、という特殊事情があったからだと思います。しかしどの家庭も、神さまの家庭です。神さまがいのちを捨ててまで買い戻そうとされた大切な神の民の家庭なのです。神さまはあらゆるものを用いながら、私たちが幸いに生きるようにと招いていてくださいます。今日の困難は明日の幸せです。忍耐をもって前進したいと思います。
「そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。」
(第一ペテロ1・6,7)